黎明余寒

 



 冬至の後、クリスマスあたりを境に日暮れが遅くなって、昼間の時間帯が伸びはするのだけれど。それにしては夜明けの方が、まだまだどんどんと遅くなってしまうので。6時になってもまだ夜中みたいに暗いなんて日もザラだったのにね。気がつけば、カーテンの向こうへ窓の形が白く浮き上がってる時間が、あのね? どんどん早くなってるような。春分の日を過ぎるとますますのこと日が長くなって。お昼間、空から降りそそぐ陽の光も、その濃度を随分と増していて。広々とした窓の間近にいると、ほかほか暖かくって、ついつい うたた寝しちゃいそうになるほどで。

  “でも…そんな日ほど、朝はまだまだ寒いんだよね。”

 玄関を出るとすぐにも、頬や小鼻の先っちょへ ひやっとする外気が容赦なく飛び掛かって来る。肩口から“ぶるるっ”と震え上がるのを払い飛ばすみたいに、両の拳を勢いよく振り下ろし、思い切るよにうんっと鋭く、我が身へ気合いを入れた瀬那くん。門扉の外へとそぉっと出ると、入念に屈伸運動を始めて体をほぐす。ただでさえ寒い中だし、加えて寝起きの身。よ〜くよ〜くほぐして温めておかないと、要らない怪我を負いやすいと、
“進さんに教わったんだよな…。”
 それまで本格的にスポーツなんてものへ向かい合ったことがなかった身だったから。体育の授業でこなした指定競技以外には手を出したこともないままに、いきなり金髪の悪魔さんから拉致されて…もとえ、スカウトされて始めたアメフト。ただでさえ…プレイするともなると さほどにメジャーではなかった代物だからね。判らないことも当然多くて、冗談抜きにボールの持ち方からして試合で覚えた即興教育。そういう“専門的なこと”どころか、運動前のストレッチも運動後のクールダウンさえ知らないまんまの、全くの素人さんだったセナくんへ、機関銃で追っかけながら“自分で分かれ”と乱暴な実地教育で叩き込んでくれたのが蛭魔さんなら、論理的な指導で細かく教えて下さったのが進清十郎さんだ。これを言うと、桜庭さんなぞは、
『あの口の重い進が、最初っから能弁だった筈はない』
 そんな風に決めつけ口調で言い立てて、一体どんな風におねだりしたの?と訊かれたりもして困ったっけ。
『だってサ、それが判ればサ。セナくんをお気に入りにしてる妖一にも効果あるかもしれないじゃんかvv
 効果があるなんてどころじゃない。メロメロに出来たりしてねなんて、妙な野望があったらしいのだけれど。
“………どうしてそういうお話を、ご本人も同座している場で口にしちゃう桜庭さんなのかなぁ?”
 そ、そうなの? それはまた、迂闊というか…間が抜けてるというか…。あ、こんなこと言ってたなんて蛭魔さんには内緒ですよ? 桜庭くんは“困ったなぁ”って苦笑しつつも許してくれそうだけれど、蛭魔さんは…同感だぜとか言いながら、こっそりしっかり完膚無きまでの報復を仕掛けてきそうだからねぇ。
“あはははは…。”
 そんな同情っぽいお顔、しないでよう。/////// まま、筆者のことなんざ どうでもいいです。ジョギングに出るのでしょう? 体が温まったのなら、汗が冷えないうち、出発なさって下さいましな。






            ◇



 軽いペースでのランニングで、もうすっかりと慣れた早朝の町を走る。ひょこひょこと弾む前髪を透かして見やる、人通りのない町並みは、お家の1つ1つにちゃんと人がいるのに、会社や学校があるお昼間よりもずっと居る筈なのにね。何でだか“ダミー”の町みたいな素っ気なさに包まれていて。
“皆、まだ寝てるんだから、当たり前っちゃ当たり前なんだけど。”
 今朝は風も吹かないものだから、自分が立ててる靴音と吐息の音しか聞こえない。ふと、遠くにスクーターのエンジンの音がして、
“あ、新聞配達の人だ。”
 その音を追い抜くように、通りを先にやって来たのは、牛乳配達の軽トラックで。車道と舗道とで擦れ違った、そんな相手の荷台から響くのは、空き瓶同士がかすかに触れ合う涼やかな音。それでやっと、夢の世界なんかじゃないんだって実感したりしてね。
“………えと。”
 昨日はネ、雨が降ってたからランニングには出なかったの。日々、本格的な練習に打ち込んでる状態にあるとか、もっと暖かいシーズンならともかくも。こんな早い時期、しかも自主トレ中心の不完全な調整中っていう身体では、きっと風邪を引くに違いないから絶対にダメだって。他にだってトレーニングするものは幾らもあるだろうって。蛭魔さんと進さんとの両方から禁じられてたからね。それで…朝は大人しく お家でストレッチをし、定時になってから出掛けて、R大学のトレーニングルームを使わせてもらうっていうパターンで過ごしたのだけれど。それだとね、
“逢えないから…寂しいんだもん。”
 こういうランニング。ハッハッハッと短い息を刻みながら駆けている時は、振り返れば…大概は何も考えていないもんなのに。たまに少しだけ、何かを思っている時もあって。そういう時はネ、決まって…決まって、
“…………。///////
 とある人の姿を思っているセナくんだから。そうだってことを思い出しただけで、頬が かぁっと熱くなる。大きな背中や屈強そうな肩。頑迷そうなほど意志の強そうな、いかにも頼もしい、男らしいお顔なのに。横顔は不思議と…俳優さんみたいに端正で。凛々しいというか、厳しくて怖い人っていう印象を与えるのはきっと、深色の眸がいつだって、真摯な緊張感に張り詰めているから。

  “…いけない、いけない。///////

 こんな立派な雑念を抱えて走るなんて 以
っての外だと、ぶんぶんとかぶりを振りながら駆けていたら、
「…? どしたね、坊や?」
 丁度擦れ違った犬のお散歩中のおじさんに、怪訝そうなお顔をされちゃった。/////// 何でもないです、おはようございますとお返事し、たかたかたか…と軽やかに駆けてった先。鉄橋を通る電車の、レールを鳴らす轍の音がかすかに響く、川沿いの土手の上のジョギングコースまでを駆け上がる。いつもよりペースは早かったのに、それでももう…黎明へと突き通る最初の朝日が射し始めており、
「…わぁ〜。」
 黎明の青へと滲み始める明るさとはまた別に、トンボの翅
ハネみたいに透き通った金色の光の矢が、横合いから、真っ向から射していて。しばらくはこのまま眩しいから、真っ直ぐ向かい合うのがキツイほど。
「ん〜んん。」
 ぐんと背伸びをし、それから大きく深呼吸。まだまだ冷たい朝の空気が、ひんやりしたまま肺に入って来るようで。見渡した向こう岸の風景は、今やすっかりと金色の中に染まってて。まるで“今から起きなさい”って魔法をかけられてるみたい。そんな広々とした風景を堪能してから、さてさて。大きく深呼吸をしてからね、汗が冷えないうち、再び走りだすセナくんだ。此処まで来たなら もうちょっと、あとちょっと。約束はしていないのだけれど、もしかしたら逢えるかも知れないから…もうちょっと。左右に何にもない土手の道、踏み固められたコースを軽快なペースでゆけば、他にも駆けてるお馴染みな人たちとも擦れ違い、それからね…?

  “………あ。///////

 屈強でバランスの取れた雄々しい肢体は、大きめのトレーニングウェアに包まれてても、遠くからでもよく判る。目深にフードをかぶっていたって、そのお顔はすぐにも思い浮かぶし、吐き出す息が白いのへ“ああ、もう随分と走ってらっしゃるから”って、そんな風に拝察出来て。
「おはようございます。」
 間近になるまでただ待っていると、進さんも立ち止まってしまうので、こちらに気がついたかなという辺りで駆け寄って、同じ方向へと並んで追走することにしているセナくんであり。
「………。」
 目礼でのご挨拶を返していただき、それだけで、あのね? ああ早起きして良かったなって思えてしまうから………ボクって物凄くお手軽なのかなぁ? でもでも、嬉しいのは事実vv お散歩に連れてってもらってる仔犬みたいに、気持ちも相当に浮き立っているらしく、危うく進さんを置いてきかねないくらいにペースが上がりそうになり、
「…小早川。」
「あ、すみませんっ。///////
 あははのはvv 気持ちは判るが、トレーニング中に浮かれるのは厳禁です、はい。でもね、浮かれてしまったのはセナくんの側だけでもないようで。ちょっぴりしょげちゃった小さな肩を横目で見下ろし、

  ――― あ。///////

 叱った訳ではないんだと、大きな手のひらがぽふぽふと、セナくんの撥ねてる髪を撫でてくれた。そぉっと見上げれば、和んだ色合いの進さんの眸がこちらへと向けられていて…あやや どうしよう。/////// …って、もうもう好きなようにやってなさいっての。
(苦笑)

  「あ、あのあの。///////

 別にね、場つなぎを意識して何かお話する必要なんてない。寡黙な進さんは、だから会話がなくたって気まずいとは思わない人であり、でもね、聞き上手な人だって知ってるからね、ついついお話を持ちかけてしまうセナくんで。だってホラ、
「今度の連休から、ボクら、合宿に入るんです。」
 蛭魔さんからの早めの招聘がかかってて、それで早速“正部員扱い”での参加になるらしくって。あ、これまでの練習でも、シフト組んでのものなんかでは、得意なポジションに付かされてたんですけれど。
「それで、あの…っ。」
 合宿の内容は、あんまり矢鱈と口外すべきではないこと。いくらリーグが違う進さんが相手でも、そして、口が重い人だって重々判ってる進さんへであっても。自分たちのことであれ、アメフトに関わることなのに軽々しく扱ってしまうのは、些細なことでも却って失礼かも知れなくて。
『いくら懸命が過ぎての末のことであれ、勢いや弾みに目が眩んで、結句、肝心な…大切な何かを見失ってしまうようでは、ただのお馬鹿だぞ。』
 もう大学生になるのだから、いつまでもそんな迂闊じゃいけないって、蛭魔さんからも度々言われていたことで。でもね、あのね、

  「此処には、学校が始まるまで…走りに来れなくなるんです。」

 別にネ、進さんからは…セナと此処で逢うのは、二の次 三の次になる要素、なんでしょうけれど。毎日の習慣、トレーニングの一環だっていうのが先に在りきのランニングなんでしょうけれど。そういえば姿を見ないななんて、ちょっとでも思うんじゃないのかな。だったら言っておかないと悪いかな。そんな風にも思ったセナくんだったのだけれども。

  “………そんなの、進さんにはやっぱり関係ないことだったかな?”

 自惚れちゃってるなって、そうと思えば…頬が少しだけ赤くなる。もっと掘り下げれば、そもそも勝手に合流しているセナなんだしね。セナと知り合うもっとずっと以前から、此処を走るのは進さんの当たり前の習慣だ。後から割り込んだ 身のほど知らずが、一体何を言い出すかなと、それこそますます困惑させてしまったかも? 久し振りに“どうしよどうしよ”パニックが出かかってたセナくんの小さな背中を、

  ――― ぽんぽんと。

 大きな手のひらが優しく叩いた。え?とお顔を上げたらば。

  「しばらくは寂しくなるのだな。」
  「あ………。///////

 寂しいって言われたのに…何でだろ、凄く嬉しいの。/////// それにね、そんな描写をこの進さんに当てはめても良いのかなって、ちょっぴり迷ったセナくんだったけれど。それでも強いて言えば…困ったなって眉を下げてるようにも見えた、そんなお顔になってた進さんであり。しかも、あのね?

  「あまり俺を買いかぶるな。」

 そんな風にまで言い出す“真白き騎士”さんだったから。
「あの…。」
 いつの間にやら、立ち止まってた二人がその場でそのまま向かい合う。いつだって自身を低く評価する困った少年。アメフトという二人に共通の定規の上でだけでなく、人間性とか人としての奥行きだとか。それを持ち出されたなら絶対に自分は下の下だ、と、我欲が強すぎて最低だと、進としてはそんな風に思えてやまない次元の話でさえ、何をどう解釈してだか、自分を孤高に身を置く気高い者扱いし、彼自身をそれを“見上げる者”に設定するのが…実は進にはいつだって不思議でしようがない。寡慾なのも懐ろが深いのも彼の方なのに。繊細で感受性が豊かで、人の痛みというものをよく知っていて。常々努力を怠らず、こんな小さいのにフィールドでは果敢で前向きで。味方の陣営からの期待を一身に背負って…必ず難関を突破してしまう、脅威のランニングバッカーで。それと同時に、人を理解しようともしてくれる、傲岸で誰をも顧みなかった自分が恥ずかしくなるほどに限りなく優しい人。
“そんな者の自己への過小評価ってのは、時には酷なんだが…。”
 思っても言えない。こんな言いようではセナが悪いように聞こえるからで、そんな不器用さがやっぱり恨めしいらしく、大きな拳をきゅうぅと握った、相も変わらず口下手な朴念仁さんだったのだけれども。言わないでいられるようになったのは、彼自身としては気がついていないことながら…立派な成長なのかも知れなくて。
「あの………。///////
「………。」
 唐突に立ち止まり、いきなり向かい合って…そのまま睨めっこになってしまった二人連れ。喧嘩だったら他所でやんなさいと、誰かに勘違いからの注意をされちゃう前に。河原に降りちゃうか、道沿いの並木の方へと避けるかして、一度とっくり話し合った方が良いのかもしんない、間違いなく相思相愛の贅沢者ふたりであり。
(苦笑) 今はすっかりと黎明の静寂も振り切って、暖かな色合いの朝日が満遍なく周囲を塗り潰していたのだけれど。それにさえ気づかないままな二人を見やって、

  「ねぇ、妖一。セナくんたちの合宿参加って、絶対に曲げられないの?」
  「曲げられねぇなぁ。」

 そんなやりとりをする人影があったりし、

    「第一、進の方だってそんな遠くもない日程で合宿が始まるんだろうがよ。」
    「え? そうなの? 妖一の情報って、いつも凄いよねぇvv
    「まぁな。どこぞの糞アイドルが、
     明後日からドラマの撮影に入るんで猛烈に忙しくなるってのも知ってるぜ?」
    「………別に故意に黙ってた訳じゃあ。」
    「とっとと帰れ。撮影と春練とでお前も忙しいんだろ?」
    「あっ、ちょっと待ってって。妖一ってばっ。」

 どちらさんも、春ですねぇ。いやまったくvv 桜が咲くのも間近いことへの前触れか、どこかで咲いて甘く香っているのは沈丁花。春の初めの黎明は春が深まるごとに短くなるし、明け方の寒気は…昼間が暖かくなることへの助走のための後ずさりのようなもの。もうすぐ訪れる爛漫の春には、一体 何が待ち受けているやら。楽しいお話しを提供出来ればと祈りつつおいおい、今日のところはこの辺で………vv






  〜Fine〜  05.3.21.


  *すいません、なんか なし崩しっぽい終幕になってしまって。
   ホントは、ちょっとしたドタバタを入れるつもりだったのですが、
   何かしらの騒動に当たってばっかな人たちってのは、
   もう一組の仲良しさんたちの方だけで十分かなと。
おいこら


 
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